アマカから8キロ(自転車で30分)
「通り池」の一番奥にある東屋からも、湾一つを隔てた遠くの崖の上に大きな岩が見えます。
崖の高さはおよそ15メートル。
言い伝えでは、明和の大津波(明和8年=1771)で打ち上げられたとされています。
佐和田の浜にごろごろ転がっている「津波石」の親分格ということになります。
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真ん中のくびれを、帯をしめている姿に見立てて「帯岩」。
方言ではオコスゴビジ(帯をしめた大きな岩)、ヌーマミージ(馬番の岩)。
以前はここに木泊という部落があり農耕用の宮古馬がたくさんいたとのことですから、そんな名前もあるのでしょうね。
高さ12.5メートル、周囲60メートルの大きさと立て看板に書いてあります。
御嶽とか神社ではありませんが鳥居が立ち、大漁・航海安全・家内安全などの信仰を集めているそうです。
どなたの奉納なのでしょう、「大日本帝国うんぬん」、文意不明の石碑も建てられています。
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石垣島沖に発生した「八重山地震」によって明和の大津波は発生しました。
琉球大学中村衛研究室によると、マグニチュードは7.4、石垣島には最大30メートル超、多良間島で15メートル、宮古島には10メートルの大津波をもたらしました。
え、宮古島は10メートル?
では、この15メートルの崖上に巨石を運び上げたというのは。
伊良部町時代に「史跡」に指定されているのですが…